「まぐれ Fooled by Randomness」 ナシーム・ニコラス・タレブ
同じ著者による、「ブラック・スワン(黒い白鳥)」の感想をブログにアップした時に、コメントを寄せてくれた「横」さんの紹介で本書を読む。
「確率と不確実性科学に関する本」という紹介が溢れているが、実際に読み始めると、内容よりもその語り口(文体)が魅力的で文字を目で追うだけで引き込まれてしまう。
この本は次の文章から始まる。
この本は私の二つの個性が結びついて生まれた。私は、偶然に騙されないように抵抗し、偶然に引きずられがちな感情をなだめすかし、現実の世界で不確実性を相手にプロとしての人生を送った人間だ。しかし同時に、美に取り憑かれ、文学を愛し、洗練されて品があって独創的で趣味のいいナンセンスならどんなものにでも喜んでだまされる人間でもある。
まるでレイモンド・チャンドラーのような、知的で少しシニカルで、少し世の中を斜に構えて眺めていて、何ともいい感じ。
「果ての国」の総理を指しているかのような表現もある。運を能力と、偶然を必然と、信念・憶測を知識・確信と、逸話・まぐれを因果・法則と勘違い(誤解)している官邸の住人たち。
これは、運ではないもの(つまり能力)のように見え、運ではないものと受け取られているが、実際は運であるもの・・・に関する本である。
そういうものは運がいいだけのバカという姿で現れる。つまり、分不相応に幸運なおかげで成功したけれど、自分の成功は、何か他の、だいたいはとても具体的な原因のおかげだと言う人たちだ。そういう誤解は・・・政治の世界ではもう風土病のようなもの。
「そんなに金持ちなら頭が悪いのはどうしてだ?」という第一章のタイトルも、「東大出なのに相当頭が悪い」という批判に似て面白い。
著者によれば「彼はちょうど良い時に、ちょうど良いところにいた」に過ぎず、我々国民はノイズと意味を混同し、「雲に浮かんだモスク」を見せられている訳だ。
テレビとマスコミ、そして歯医者が嫌い。
一所懸命に仕事をして、約束の時間を守って、清潔な(できれば白い)シャツを着て、ちゃんと風呂に入って、そのほか普通にやるべきことをやる。
ジェイムズ・ボンドの生き別れた弟のような「賢い生活」に憧れる著者。
私も同様だ。
-------------------------------------------------------------------------------追記(2010.05.17)
第11章に「哲学をやっている役人には気をつけろ」というパラグラフがある。
役人は、その勤務時間の大半を横柄な態度でルール・ブックを片手に書類に承認のハンコを押し、家に帰ると冷たい生ビールを飲みながらサッカーを観て過ごすべきで、ポール・グルーグマンの著作などを読んで貿易収支や経済成長に思いを馳せてはいけない。
役人がルールや慣習に従うのは、規範的科学の観点からそうするのが一番いいからではなく、実証的科学の観点から便利で時間や労力を節約されるからだ。
日常生活において、自分たちがどれだけわかっていないか、それを知る必要はない。
ここでは、著者は役人はルール・ブックどおりに書類を審査し、いち早く承認のハンコを押してくれさえがよく、いちいち立ち止まって哲学をして申請者を困らせないでくれという比喩を行っている。
規範的科学は、物事がどうあるべきかを追及する学問だが、実証的科学はその正反対にあって、人がどう行動しているかの観察に基づいて形成される。実証的科学が持ち出す概念がいわゆる合理的経済人だ。
こういった著者の考え方は、カントの認識論に通ずる。
経験主義者(=著者のいうところの実証的科学)は、「人間は白紙状態で生まれ、全ての知識や概念は人間が経験を通じて形成する」と主張するが、合理主義者(=著者のいうところの規範的科学)は、数学の定理などの真偽は人間の経験に依存しないと反証する。
カントは、例えば「因果関係」「時間」「空間」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だと説明した。
この著作は、不確実性理論をトレーダーという観点から分析しているようでありながら、実のところ、ヒトの思考と感情について深く洞察した「哲学」に関するエッセイなのかもしれない。
知的な刺激を与えてくれる一冊であった。(ホンマかいな?)

コメント
nice post. thanks.
投稿: school grants | 2010年5月16日 (日) 11:08